26 9月 2024 - 10:24
100人の死に直面した日本人医師

足が粉々に砕け全身にやけどを負った女の子。 別の女の子はふとみると、右腕がありませんでした。 小さな子どもに女性。 その日本人医師は、3週間で100人を超える人たちの死に直面しました。 「ここまで自分が弱っているのは初めてです。まだ気持ちの整理ができず、落ち着きません」 数々の紛争地で活動してきた医師は声を詰まらせ、涙を抑えきれませんでした。 医療の限界と無力感にさいなまれたガザ地区の実情。その記録です。

  11月14日から12月7日まで3週間ほどにわたってガザ地区南部で活動していた国際NGO・国境なき医師団日本の会長をつとめる中嶋優子さんです。


 ハンユニスに入った日の夜からドローンの音が耳に付きました。ハンユニスは基本、ドローンの「ブ-ン」という音が日中もずっとしていました。

そこに、空爆の音が「ドーンドーン」という感じで、近いときは音が大きく、家の揺れもすごく感じました。

いつも空爆がひどくなるのは深夜で、夜11時、12時、また明け方の3時、4時が多いんですが、11月23日の夜はみんなが集まっている夜8時ぐらいでした。

自分の日記を見返してみると「さすがに今日は死ぬかも知れない」と書いていた夜が2回あり、それが11月23日と12月1日でした。

建物の揺れが強いときはここも空爆されるかもしれないと思いながら、できることはほとんどないので、じたばたしてもしかたないと覚悟決めていました。




たくさんの悲しい、日本では考えられない症例を見ました。

11月18日、現地に入ってから初めて、空爆で一気に負傷者が搬送されてくる、ということを経験しました。

なんとか助かるんじゃないかと運ばれてきた女の子を診たのですが、呼吸もしていなさそうで、脈を測ったり瞳孔を見たり確認していて、はっと気づいたら、右腕が全くありませんでした。

出血は、と思ってみてもすでにほとんどない状態で、現場で失血死していたのだと思います。

本来であれば病院の入り口でトリアージをして、中に入ってこないような状態の患者さんまで次々に運び込まれるような状態でした。

ほかにも、ものすごくひどいけがをした10歳の女の子がいました。

骨折というと、ふつう日本で考えるとどこか1か所が折れているみたいな感じだと思いますが、もう粉々に砕けている。さらに全身やけどを負い、呼吸もままならない、ひん死の状態でした。

来たときは命つなぐことをしても、2、3日で悪化して亡くなってしまうという症例がすごく多い。

この女の子も壊疽が広がって、足を切断しないと感染症で死んでしまうおそれがありました。ただ、本人は意識がないままで誰に手術の同意をとろうかとなったときに、家族は全員死んでいて同意をとれる人がいないということがわかりました。

それでも「命が危ないので手術をするしかない」となったのですが、手術の順番を待っている間に、女の子は亡くなってしまいました。

この子以外にも、こうした子どもたちがたくさんいて、10歳以下の、4歳、3歳、1歳にもならない赤ちゃんまで。けがをしたのにだれも家族が生き残っていないという子どもたちを何人も見ました。

こんなにも大変な状況なのに、この子たちの今後の人生はどうなるんだろう。

そういったケースがあまりに多すぎて、医療の限界をいつもより、ものすごく感じていました。


ガザの人たちから「日本に帰ったらぜひ日本の人たちにいまの私たちの状況を伝えてほしい、忘れないでほしい」と言われました。

日本人として、そして現地の病院で活動した者として、ガザの状況を証言し続けていく、訴え続けていく。遠くの国だと現実味がないかもしれませんが、私の証言を通じて、こんなことが本当に起きているんだと実感してもらいたい。

そして、みんなで声をあげて、少しでも一緒に停戦を訴えていきたいと強く思っています。